当社は昭和17年2月4日「徳島統合バス株式会社」として創業いたしました。昭和17年は太平洋戦争の緒戦であり、戦線の拡大により国民生活は窮乏を強いられていました。
当時、徳島県下には30社近くのバス会社が存在し、国家による統制の円滑化および国力の総動員を目的として、国策事業の徳島バス統合株式会社が誕生するに至りました。
徳島バス統合株式会社統合企業一覧
徳島自動車株式会社 | 松村自動車合資会社 |
合資会社博愛自動車 | 株式会社阿南自動車協会 |
下板自動車合資会社 | 撫養自動車株式会社 |
神徳自動車株式会社 | 上山線自動車株式会社 |
海部郡町村公営自動車組合 | |
昭和37年刊 徳島バス株式会社社史編纂室 『徳島バスの20年』より |

海部郡町村公営自動車組合 ©徳島バス株式会社
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徳島バス統合株式会社年表 当社の前身である、徳島統合バスは徳島自動車株式会社を母体として昭和15年末から徐々に上記表中の会社を統合しました。当局の要請での統合でしたが、後に徳島統合バス株式会社取締役社長に就任する原田量之をはじめとする6名で新会社設立に向け動き始めました。 |
1941.5.7 | 新会社設立発起人大会開催 設立委員:原田量之、伊東八百吉、斎藤平三郎、桂兵次郎、梅田鶴吉 設立事務所を徳島市東船場町2丁目に置く |
1941.10.21 | 第一回株式払込完了(1株20円50銭) |
1941.10.27 | 創立総会開催 取締役:原田量之、斎藤平三郎、桂兵次郎 監査役:梅田鶴吉 をそれぞれ選任 資本金:19万8千円(1株50円、3,960株、株主14名) |
1941.12.18 | 日本、真珠湾攻撃、太平洋戦争開戦 |
1942.1.29 | 臨時旅客自動車運輸事業免許 |
1942.2.4 | 徳島区裁判所に会社設立登記 |
1942.2.6 | 営業を開始 |
1942.3.7 | 社名を徳島統合バス株式会社に改称 |
1943.1.27 | 第1回定時株主総会開催 |
1943.2 | 新車15両認可。戦時車両1県5両の時代に3倍の台数は異例。 |
1943.6.1 | 乗合バス運賃改定 |
1943.6.15 | 資本金50万円に増資 |
1900.1.0 | 当局からの燃料・資材の配給乏しく難しい経営を強いられる |
1944.1.27 | 第2回定時株主総会 |
1944.4.29 | 決戦非常事態措置に伴う事業計画変更認可申請を県知事に提出 |
1944.10.27 | 第3回定時株主総会開催 |
1944.12 | 京阪神地区にB29が襲来、空襲の被害甚大。徳島県にもB29数機が通過 |
1945.5.10 | 空襲に備え、本社事務所を疎開(徳島市八百屋町1丁目) 警戒・空襲警報の発令のたびに運行中止を余儀なくされ、ダイヤはマヒ状態となる |
1945.7.3 | 徳島大空襲、一夜にして徳島市中心部が廃墟と化す(B29が80機来襲、徳島市中心部に焼夷弾攻撃) 徳島駅前本社、出来島本町の工場、車庫および木炭庫、車両24両ほか設備資材が灰と化す 残存車両:徳島、鳴門、丹生谷(相生)、牟岐、勝浦に各1両ずつ 従業員およびその家族に死者はなし |
1945.7.5 | 空襲の影響により営業を一時停止 |
1900.1.0 | 本社機能を移転(徳島市吉野本町へ) |
1945.7.14 | 鳴門線、勝浦線等の一部路線の営業再開 |
1945.7.20 | 本社を国鉄徳島駅前農業会に移転 |
1945.8.15 | 日本、ポツダム宣言受諾、正午に昭和天皇による終戦の玉音放送が流れる。連合国軍による日本進駐がはじまる |
1945.9.29 | 乗合バス運賃改定(基準賃率0.0646円) |
1945.12.29 | 第5回定時株主総会 |
1946.1.25 | 徳島区裁判所に昭和20年11月5日司法省告示第86号による回復登記申請 |
1946.3.2 | 乗合バス運賃改定(基準賃率0.168円) |
1946.5.10 | 本社事務所兼待合所及び出来島木炭庫新築を県知事から認可 |
1946.5.30 | 第6回定時株主総会開催 |
1946.9.10 | 徳島バス従業員労働組合誕生(現:徳島バス労働組合) |
1946.9.20 | 本社を徳島市寺島本町東3丁目14番地に変更 |
1946.10.1 | 乗合バス運賃改定(基準賃率0.21円) |
1946.12.28 | 第7回定時株主総会開催 |
1947.3.1 | 乗合バス運賃改定(基準賃率0.40円) |
1947.7.16 | 乗合バス運賃改定(基準賃率0.85円) |
1947.7.31 | 臨時株主総会で定款一部変更。阿波線36.1キロ省営バスと並行路線廃止 |
1947.9.5 | 社章のいわれ![]() ハンドルをかたどり、社のかしら文字をローマ字で配している。ハンドルは車の生命であり、また平和と産業を愛する阿波の精神に基づき「人の和」をその中に表し、人類の前進と繁栄の先駆をなすものは運輸であるという高い理想を掲げたものである(昭和37年刊『徳島バスの20年』61項より) |
1947.9.6 | 阿波線36.1キロを省営バスに譲渡 |
1947.11.1 | 山間線割増運賃設定 運賃改定 |
1947.12.7 | 企業再生整備法による旧勘定及び新勘定併合認可で期末決算を行う |
1947.12.7 | 臨時株主総会で借入限度額を100万円から500万円に変更 |
1947.12.17 | 新旧勘定併合認可で特別管理人抹消を登記 |